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HOME(トップページ) > Life@Chef(永井 紀之シェフ) > フランス時代
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フランスにて
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フランス時代

「そういう状況だったので、フランスに当てがあったわけでもなく、いきなり行って、飛び込みで仕事を探して。言葉ももちろんできるわけじゃなかったので、ある意味、オーボンヴュータンにいた時よりも、その時の方が、大変といえば大変だった。だから、仕事が決まったときは本当すごくうれしかったし、どっちかというとほっとして。お金もなくなってきてたし、日本から仕送りしてもらうつもりはなかったんでね」

「仕事に入って最初の年は、言葉が話せないというのもあって、色々な意味で、精神的には厳しかったけれども、それでもそんなには苦労しなかったかな。仕事の面では、全く苦労しなかった。当時、今から考えれば20年も前の話だけれども、たった2年しか仕事していない僕でも、技術的な面で言えばついていけないわけじゃないし、日本は優れてたと思う。それに、基本的にフランスに行くというのは技術の問題じゃないんでね。日本の文化しか持っていない僕らが、フランスの文化を理解するために行くのであって、技術的なものを習得しに行くのとは少し違うと思う。フランスになじんで、フランスの人間と同じような物事の考え方ができるようになることがフランスに行く意味であって、技術的にこれ覚えた、あれ覚えた、ということとは別だと、当時からそう思っていたので。技術的にはなんら問題はなかったんだけど、ただ言葉が話せないと、色々な話ができなくて。むこうは基本的に話をして理解し合わないと、日本みたいに『言わないでわかってくれ』みたいなのはないので、そのへんは時間がかかったかな」

「コミュニケーションがとれるようになったのは、結構早かったですね。最初の2年間はあえて地方にいたので。パリにいるとどうしても日本人がいるし、パリはどちらかというと『パリらしい』ところであって、フランスらしくないので、地方でフランスというものにどっぷり浸かった方が、という気持ちがあって。2年間田舎にいて、フランス人とばっかりつきあっていたので、1年ぐらいでそれなりに話はできた。2年ぐらいすると、結構夢でもフランス語だったりしたからね(笑)。日本人の友達が夢の中に出てきて、フランス語で話してるわけ。日本人同士なんだから日本語で話せばいいんだけど、どういう訳かフランス語で。そうなった時に初めてフランス語が普通の生活の中の一部という感じになったのかな」

「最初のお菓子屋さんには1年間、次のお菓子屋さんにも1年間いました。1年の間に、いろいろな宗教の行事があって、それに即したお菓子があるので、1年でだいたいそこの仕事がいろいろ見られる。技術的な事を見るだけだったら数ヶ月でもいいと思うけど、文化的な事からすべて見ていこうと思えば、やはり1年間いていろいろなものを見ようと」

「で、まあ、そろそろパリも見に行こうかな、みたいな(笑)。前に働いていたところの紹介で、次はパリのレストランのデザート部門のようなところで働いて。そこで働いているうちに、また次も紹介のような形でレストランで働いて。それから一度ちょっと日本に帰ってきて、その時に結婚して、またフランス戻って。今度も紹介で仕事探してたら、ジュネーブのホテルの仕事があるという事でそっちのほうに行って」

「ジュネーブは、ホテルだったせいもあるんだろうけど、仕事も楽で、時間もきっちりしていて、フランスにいるときに比べたら、非常に自分の時間が多くなって、逆に退屈な気分になってしまって。1週間に2日間休みがあったんだけど、もてあますんだよね。1日はショコラティエに研修行ったりして。冬場なんかはやる事ないし、休みのたびにスキーばっかりしてたけど。
ジュネーブは結構長かったので、もう一回お菓子屋さんを見て帰ろう、ということで、その後ルクセンブルクのお菓子屋に行ってから帰国しました」

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