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インタビュー中の鎧塚シェフ
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関西時代

「この世界に入ったのは23歳と、ちょっと遅いんですよ。それまで別の仕事をしていまして。もちろんお菓子を食べるのは大好きで、昔からパティシエになりたいなという思いはずっとあったんですけど、23歳の時にちょっとまあ、あるきっかけがあって、この世界に入りました。そのきっかけというのは、これまであまり話してないんですけども、実は当時付き合っていた彼女の夢が、お菓子屋さんの奥さんになりたいということだったので、それがひとつの弾みになってこの世界に入りました。それでお菓子の世界に入って、一生懸命お菓子作ってきまして、気がついたらその彼女には逃げられてましたけど(笑)」

「最初に大阪にある守口プリンスホテルというところに入社しました。その頃はバブルの全盛期で、また、ホテル自体もどんどん伸びていく時代で、毎日毎日すごく忙しく、また、楽しかったですね。当時は12月になると、ロビーに大きなお城とかを競って作るような時代で。最近は毎日徹夜してまでそういうものを作っていくというのは、ホテル自体もあまり望んでいないところも多いと聞きますが、当時はバブル全盛期だったんで、そういったものを各ホテルみんな競って作っていました」

「そういった感じで、守口プリンスホテルに新入社員で入ってがむしゃらにやってきたんですけども、2年半ほどして、神戸ベイシェラトンホテルというホテルがオープンすることになり、そちらで人を探しているということでお話しいただいて。ちょっと躊躇したんですが、というのは、守口プリンスホテルではまだ入社して3年目ということで、小僧といいますか、そういう状態だったんですけれども、シェラトンホテルでは、当時僕26歳くらいになっていたものですから、中堅、もしくは中堅以上のセクションシェフというかたちでお話をいただいたもので。このとき、お世話になっていた方から『もちろんそういった責任ある立場にキャリアのうすいうちに行くというのはすごい苦労があるだろう。しかし、守口プリンスホテルで小僧としてやっているのもそれはそれで苦労があるんじゃないか、同じ苦労するならば、より報われる可能性のある苦労をした方がいいんじゃないだろうか』と言ってもらい、『それはそうかな』というのを感じましたので、守口プリンスのシェフにも大変かわいがっていただいていたんですけれども、シェラトンホテルの方に移ることに決めました」

「シェラトンホテルでは、オープン時でもあり、先ほども言いましたようにバブルの全盛期でもありましたので、それこそ朝イチから最終電車まで、ガンガンみんなで働いてきました。そうしているうちに自然とスーシェフぐらいの立場にさせてもらいました。
2年半ぐらいたって少し落ち着いた頃に、シェフの話なんかもくるようになりました。これは僕自身がそれだけの器になった、というわけではなく、当時のシェラトンホテルのシェフが偉大な方でしたので、その方にいろんなシェフの話がくるようになりまして、それを自然と僕の方に回していただけるようになりました。その時に感じたのは、『このままシェフになっていいのだろうか』・・・この6年間なんか階段を一段抜かしで一気に駆け上がって来たような気がどこかにあって、もう一度きちんと一からやった方がいいんじゃないか、と。ヨーロッパというのはパティシエになったときから頭の中にはずっとあったので、ホテルが落ち着いたこともあって『ヨーロッパに行きたい』という思いがわいてきました。シェフに相談したところ、シェフは僕の行く道というのを考えてくださっていたので、ご迷惑は少しおかけしましたけれども、快く、『よし、じゃあ行ってこい』と言ってくださいました。それで自分の中ではっきりと踏ん切りがついて、そこからヨーロッパに向けて考えはじめました」

「ヨーロッパに行くことは決めたのですが、当時東京はそういうルートがあったかと思うのですが、関西のほうはまだなかなか周りにヨーロッパ行った方とかいなくて、どうしたらいいかわからなかったもので、いろいろな方に相談しまして、東京ビゴの藤森社長をはじめ、いろいろな方を紹介していただきました。その中で、スイスのトビアス・エルマティンガーという方が講習会に来るということを聞きまして、ぜひやらせてくださいということで、助手をさせていただくことになりました。その場で僕はどうしてもヨーロッパで働きたいと伝えたところ、エルマティンガー氏が『じゃあうちにおいで』と言って下さって、スイス行きが決まりました。
スイスに行くことになったんですが、スイスがどんな国なのか分からない。もちろん漠然とは知っているんですでれども、例えば何語を使っていて、どんなお菓子を作っているのか。で、調べてみると、スイスでは4カ国語も使われている、『では僕の行くところは?』、というのが間際まで解らなくて、エルマティンガー氏に聞いたところ、『とにかく、一カ国語を話すようになってこい。それは英語でもフランス語でもドイツ語でも何語でもいい』。実は、エルマティンガー氏というのはいろんな言葉を話される方で。当初僕はフランスに行きたかったので、フランス語は勉強していたんですけれども、まず一カ国語となったらやっぱり英語ですよね。知っている単語の量とか全然違いますので。ですから急遽英語に切り替えて、行くまでの数ヶ月間、一生懸命英語を勉強して、スイスに渡りました」

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