チョコレートは古代のアステカ文明から世界中に広がりました。アステカでは、土器や壁画、石碑等の遺跡から、紀元前1000年から500年にはカカオの栽培が始まっていたことが裏付けられています。主な用途としては、薬用の効果がある飲み物として、あるいは貴重な品であったので貨幣として、儀式に使われる品々として使われていました。とくにカカオ成分中のテオブロミンには薬効性があり、利尿作用、筋肉緩和作用が知られています。王侯貴族の神聖な飲み物として、その効能は「適量飲むと元気になり、快活、活気づく」といわれていました。 |
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■チョコレートの発見 |
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チョコレートの最初の発見は、コロンブスのアメリカ大陸発見においてですが、このとき持ち帰ったカカオは何の興味も持たれませんでした。その後、フェルナンド・コルテスがアステカ文明を滅ぼした際に持ち帰ったときに、元気になる飲み物として紹介されました。「ショコラトル」(苦い水という意)という名の飲み物は、スペイン宮廷を中心に貴重な飲み物として珍重されました。 |
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■チョコレートがヨーロッパへ |
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当時のスペインからヨーロッパに広がったのは、17世紀のイタリア人・カルロッティが自国へ持ち帰ったと同時期に、ルイ13世に嫁いだスペイン王女アンが伝えたのが大きな役割だったとされています。このときからヨーロッパの王侯貴族が好んで飲用したと伝えられています。このころ「ショコラトル」は苦いものから砂糖を添加して、甘い飲み物にかわっていきましたが、当時の「ショコラトル」は記録からすると大変にまずかったようです。 |
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■チョコレートが世界へ |
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チョコレートが現在のように世界中に広がったのは19世紀前半、ヴァン・ホーテンの業績です。ヴァン・ホーテンは、プレス加工によって、カカオバターやココアを分離し、今のココアを世に出しました。これが世界中に広がりました。また、イギリスのフライ社がこのころ初めて板チョコレートを生産し、これまでの飲み物と言うチョコレートの概念を一気に吹き飛ばしました。そして、日本では明治、大正時期に作られるようになり、経済成長とともにチョコレートの大衆化を迎えます。 |